受験勉強通して最近よく思うのは、受かることだけを目指し過ぎな人が多いのではないか、という事である。
弁理士受験生の本来の目的は、試験合格でなく、弁理士になることだろう。
弁理士というは、法律的専門家という一面を持っている。ものすごくおおざっぱにいうと、一般人からの相談について、法源に即して(社会的にも)有効なアドバイスができることが求められるだろう。
下図の、いちばん左側の状態である。
弁理士を目指す弁理士受験生は、このような弁理士になることを目標として受験勉強をするのだ(ろう)から、合格時の理想は、上図のもっとも右の状態を目指すべきであろう。
しかし、受験生といえど、勉強し始めは一般人と変わらないのであるから、弁理士や講師、受験本的なものから、「制度の概要」や「法源に即して判断すること」を学んでいく必要がある(図の入門時に当たる)。
強く感じるのは、受験生も教える側も、この入門時の状態で進んでしまいがちになるのではないかという事である。両者とも、合格のため、とにかく知識を増やす(暗記する)ことに重点を置きがちになってしまうのではないかという事である。
受験生側は、自分もだが、「○○先生が言っていたから」「弁理士××が言っていたから」という事を無批判に取り入れ、判断の根拠としてしまう傾向がある。
教える側にも「弁理士の俺が言っているんだからこうである」というような、客観的根拠を提示しないで結論のみを提示する者が散見される。おそらく、結論を簡潔に述べようとする訓練のたまものだろうと思う。
※後者については、特に、講義などを聞いたり、受験機関が作成したレジュメをみたりしたときに思ってしまう。
なかなか難しいことではあるが、いずれも意識改革をし、理想の合格状態を目指して、受験期に移行していくように意識しなければならないのではないだろうか。